独秋庵

カメラと旅と放哉

藍に会いたくて・日本海と北陸の哀愁 ~上~

・まず、今回の旅行中に地震にあいました。一昨年訪れた能登半島、衝撃が隠せません。私の好きだった和菓子屋さん、運悪く行けなかった朝市、和倉温泉から眺めた日の出。

心配でたまりません。復興をお祈りします。

3日目にチヌークが何機も能登へ向かう空に、凄い不安と焦燥を覚えました。

災害派遣交通機関、インフラ関連の皆様にも感謝。

輪島汐饅頭マジでおいしいから、復興が進んだら現地に行ってぜひ食べてみてください、お取り寄せしてないからね。

箱買いすればよかったといまだに後悔。

_ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ 

日本海 重たい潮風 こころを攫って

1.出発

駅に着いて6時前だ。
自分の怠惰な性格のせいだろうか、毎度出発の際はぎりぎりになって駅まで走ることになる。
北陸は雪が凄いだろうとスノーブーツを履いてきたから足が重くてゼェゼェハァハァ。
最寄駅で電車を間に合わせて大阪駅に向かう。
飲み屋街を通る列車は、朝帰りのサラリーマンと大学生を乗せて居酒屋の形相。
私は過積載の荷物を膝に置いて窓の外を眺めた。
冬の6時はまだ暗い、いつもの昼間使う沿線の風景を思いながら大阪駅だ。
ここから京都までは快速で向かう。
やはりホームは朝帰りと、貪欲な旅行客でいっぱい、少々混みそうだ。
最後尾のクハに乗る。
大阪駅を出た後の多少騒がしい街灯を見て、夜行列車みを覚えた。
思うに、終電以上に早朝の列車は夜行の感じがする。
寝るのは随意的で幾らでも夜更かしできるが、やっぱり起きるのはどうも受動的な感じがする。
ふだん自分がこの世に居れない時間帯で列車に乗って移動している、その違和感にロマンを覚えた。
その違和感がきっと夜行列車への憧憬なんだろう。
列車は淀川を渡って新大阪に停車した。
横のホーム、「サンダーバード1号 6:34」を見て、俺の方が早いとよくわからない優越感を抱く。
発車した列車は吹田貨物駅を通過、何か面白いものでも…と思ったが暗くて見えない、退屈だ。
スマホをいじろうにも、充電できるか怪しい中2日間頑張らないといけないので少々気を使う。
通路挟んで反対側の椅子にかけた朝帰りの大学生、アンドロイドがなんちゃらかんちゃらと騒がしい。
見た目は垢抜けてはいたが、喋り方からはオタク仕草が伺われ、少し安堵を覚えた。
さて、この快速列車は内側線をぐんぐんかけていく。
時折外側線の回送列車を抜かしていくのが早起きの特権といえよう、列車も朝から頑張っている。
どこかしら安定感がある様子に、京阪神緩行線の余裕みを感じた。
カタッカタというジョイント音が下半身に響く、軽快なリズムがクハの旨味といえよう。
列車はフラット音を立てつつカタタタタと大山崎に停車、降りる人はいたが乗ってくる人は少ない。
大山崎では向かい側の外側線を回送列車がのんびり駆け込んでいった。
出発してしばらくすると、向日町の基地が見えてきた。
早朝、特急列車と近郊列車が混じって朝礼。
さっきの回送は先生に事情を伝えて走って出てった割にノンビリしてるな…と思い出した。
広大な基地、しばらく経つと隠居しきれないDD51EF65の横を通過。
そういえば、前はよく同期の113・5系や117系がいたのにな、と寂しげな2機を尻目にしばらく、京都のアナウンス。
列車は京都駅に滑り込む。
最後尾の減速し切った入線は、徐々に明けてきた夜とリンクしているようで、自分のぼーっとした頭をなんとなく再確認した。

 

2.湖西線

京都駅を出て、米原に向かうさっきの列車(、変身して普通になってしまった!)を見送る。
私の乗った普通列車は森のQRトレインだかなんだかのラッピングで鮮やかだった。
京都駅を出て、逢坂山トンネルを抜けると山科の大カーブだ。
列車はおおらかに旋回しながら車体を傾ける。
見下ろすような車窓からは朝靄がかった街と山が見えた、美しい。
盆地状・箱庭らしい風景を眺めるのも一瞬、山科に到着。
山科では数人人が乗ってきた。
言うて大晦日だからものの数人、私の横の席は空いている。
大津京までは何かめぼしい風景があったわけでもない。
もやった山すそに、滋賀という感じ、いかにも普遍的な建物が続く…

大津京駅で、ホーム柵の点検で遅れているらしいサンダーバードをやり過ごす。
V12編成、旧塗装の特急の懐かしさを覚えた。
小さい頃サンダーバードに乗った時の色だ。
5分の遅れで駅を出発、裏山にただ住宅が群がるのを尻目に、多少の不安を抱いた。
停車を気にかけず、ぼやけた琵琶湖を眺める。
寝足りない頭でぼーっと文章を書きながら、列車は志賀だ。
この辺りになると人ひとり乗ってこない。
すっかりローカル線の旅で、空のカラスと旅をする。
意外とトンビは飛んでいない、日常の風景といった感じ。

カラスとか映ってないけど

対岸の見えない琵琶湖にメランコリーを覚えつつ、少し松原が見えたのに安堵する。
しばらくするとまた元の味気ない湖岸に戻ったが、雲の薄まったところから少々遅い朝日が望めた、暖かい。

まばらに人が乗った列車がいかにもきたぐにに向かう雰囲気を保っていた。
北小松あたりで列車の遅れは5分から「少々」に変わったようだ。
安曇川でまたサンダーバードに追い抜かれる。
ドアも半自動に切り替わった、寒いんだろうなと頭で理解する。
空っぽな車内に別な乗客のいびきが響く。
なかなかアクセントになると思ったが、耳障りになってきた。
この辺りでちょうど胃が鳴ってお腹が減ったが、食べるものもないので我慢。
ここらで湖西線はコンクリートのトラック競技から、徐々に土手の上で長距離走にシフトし始める。
長距離走に代わってしばらく、近江今津で乗り換えだ。
幸いにも海側、というか湖側の席を得られた。
急いでクロスシートにこしかけたが、せっかくの18きっぷだ、ボックスシートで知らない人と話をするのもと少々後悔、列車はまばらな琵琶湖岸の靄を切っていった。
近江中庄は一度降りたことがある。
穀倉地帯のその街は、扇状地に立地して緩急がある。
冷たい湧水が心地よかった思い出。
地理教師の企画で行ったな、変わった先生だったが琵琶湖沿い出身らしい。
鮒を食べた話を楽しそうに授業中していた。
列車は土手の上を穏やかなリズムでかけていった、マラソンだ。
霜の散った黒い田んぼは、どこかその白い点々が滑稽なように思われた。
絵の具のはねてしまったような…。
この2両編成の車両で話し声は聞こえなかった。
皆寝るかスマホを見るか、春の喧騒はどこに。
あまりに伸びやかなマキノあたりの風景は、どうも若々しいステンレスのワンマン列車には退屈そうだった。
ワンマンカーは自由であると同時に、運転士と一心同体な不安さがある。
この100キロ近い孤独と向き合う運転士も、まさに奥の細道的・月日は百代の過客にして…を感じているのだろうか。
「足湯付き農作物販売所」という黄色い建物が目についたな、ぼやけて字がよく見えない。
しばらくしてマラソンコースは湖岸を外れて山間に入っていく、私のお気に入りはこの山間に入っていく時に出迎えてくれる風景だ。

このハグしてくる山にダイブしたくなる

春は桜がまばらで美しかった。
ここから先はいよいよ北陸だ。
琵琶湖線米原駅を境に東海道線/北陸本線となる。
湖西線でもこの辺りで切り替わるような気がする。
モヤをくぐって敦賀日本海に向かう様子は大層健気な感じがしてグッとくる。
永原をすぎて、城山トンネルを抜けたら余呉湖を遠くに見下ろすような感じになる、ここも滋賀の残り香のようで奥ゆかしい情景だ。
後ろ髪引かれつつ、徐々に雪混じりになるブラウンの土に遠いきたぐにの風を覚えた、期待感。
近江今津に到着だ。
ここから先は大回りでは回れないからいよいよ本領発揮という感じだ、新疋田駅の前、トンネルを出るとパッと雪の反射が目を刺した新鮮さ。
鳩原のループ線を登るとともに、少し川沿いを走る。
川沿い、雪に混じった南天の実が紅一点、春は遠いが、「霜とけ鳥光る」の情景が胸を掴んだ。
いよいよ旅だと期待のたかぶる福井の県境、きたぐにはもう近い。

3.北陸本線

敦賀から先も521系で雪混じりの山間をかけていく。
列車を降りて別な列車に乗りこむ。
腰掛けたボックスシートの向かい側には、自分と同じような母娘が腰掛けていた。
お母さんの娘に対する気遣いのニ、三言と、ぶっきらぼうに首を振る娘。
どうも冷たい敦賀の海風に反比例した暖かさを感じる。
窓の外では山の間を埋めるように田んぼが広がり、列車はいよいよ北陸トンネルに。
13キロという距離は眩暈がする。
北陸トンネルは電灯がない、真っ暗、まさに目を閉じたような。
13キロの眠りに落ちた列車でさっきの母娘も目を閉じて眠っている、なんともただのトンネルみを感じた。
トンネルを抜けると、やはり雪国なのだ。
辺りは雪の方が多くて、むしろ白のキャンバスに絵を描いている途中のように思われた。
母親は目を覚まして娘に雪だよ、と言う。
目を擦りながら雪にたじろぐのも一瞬、また眠りについていた。
南今庄の無愛想な板切れホームも雪の化粧で、華奢な美人の様である。
けむり立つ山もどこかとぼけ顔で彼女に惹かれているようだ。
列車は真冬の三角関係を他所に、今庄の駅にたどり着いた。
今庄の駅は希望の駅だ。
春の18きっぷ旅行で、おばあさんと少年とその妹にボックスシートを譲った後ずいぶん少年に話し込んだのを思い出した、彼は鉄道が好きでデジカメで写真を見せてくれた。
かわいらしかったが、確か中学受験か何かで忙しかったような。どうしてるんだろう。

列車は数駅、今庄そばの褪せた看板を見向きもせずにかけていく。
私は少々お腹が減りつつも、物書きをしていた。
相変わらず緑と薄茶と白と灰色の景色だ。
肩も凝ってきたので、狭い車内では首を回す。
雲間から青が覗いてきた。
北陸線のラインカラーを思い出して一瞬、どうやら雲がひいたらしくてあたりの薄茶は黄金色で上塗りされていた。
王子保駅だ。
確かこの駅で少年一家が降りたんだなと思い出す、もうじきで武生だ。
眩い窓からの光に目を背けながら、この長い越前越えを想う。
武生の街は少々賑やかなようで羨ましかった。
降りていった客は多分帰省の人たちだろう。
駅の改札から望んだ「ハピライン福井開通 2024.3.18」の黄色いお手製看板に、この521系の青白のラインカラーが寂しく思われた。
一旦列車から出て寂しげなステンレスを写してもっぺん乗り直した。

M_001738

       普通の写真に見えるけど、数年後には貴重なものになる、恐ろしや。

列車はサンダーバード号を待った後、北陸本線のメロディに背中を押されて発車した。
福井まであと20分ほどだ。
雪のひいた黄色い田畑と瓦と板葺の混じる家家を脇目も振らず列車は鯖江へ。
依然として山は白いウェディングドレスを纏っている、もし今雨が降ったならまさに狐の嫁入りだろう。
悲喜の混じった、雲と日差しの織り込まれた空。
あいにく有名なメガネの看板は望めなかった。
田舎というのは高層ビルが無いから町が明るい、遠く広がる田んぼにも安定感を感じた。
越前花堂に泊まっていよいよ福井、ドアから差し込む冷気で雪国の予感。
福井までの終点一駅を噛み締めた。

これ撮ったのはAFの調子が悪かったKissDX、壊れてるんかな、カラカラ音いう
4.えちぜん鉄道

福井に到着、長い距離に比例して、終点の響きも一層力のこもって聴こえる。
永平寺に向かう予定だ、学校に永平寺出身の(修行していたということ)先生がおり、何たる厳しさ!と胸打たれたからだ。
物腰の柔らかい彼の思考でも、どこか厳しい目つきと自分の道を持っている。
春休み、18きっぷの旅行について話したら、そのゆっくりした時間で考え事するのがまさに修行・空やねと。
私自身旅のベースとしてあるのが空である。
色即是空、空即是色。
世の中のものは全て無であり、無が世の中の全てのものである。
旅の中で繰り返される一期一会の出会いを噛み締めながら、いつかどこかで忘れるかもしれないのに「また会えたら」と発する切なさ・ただひたすら自問自答を繰り返す時間。
その刹那性に私は惹かれる ー普段の大体のっぺりした日常に切り掛かる暴力性。
彼の価値観をのぞいてみたい、その切り口は永平寺にあるのではないか。
永平寺に向かうべく、高速バスに乗った。
と書きたいところだが、永平寺ライナーが現金制ではなくチケット制とは知らず、券売所と乗り場がそこそこ遠い上、発車まで3分ほどしかなくて諦めた。
呑気に福井駅で写真撮ってたから…。
切り替えてえちぜん鉄道福井駅に向かう。
乗ってみたいと思っていたが、まぁ時間的にバスの方が賢いだろうと思ってバスの予定だったので、結果として幸せだ。
えち鉄で切符を買うと、なんと手書きの切符。
どうやら券が切れてるらしくて手発券になったと駅員さんに詫びられたが、こちらの方が嬉しい・ありがとうございますと云っておいた、補充券なんて関西ではお目にかかることない!
発車まで25分もあったからのんびり写真撮って少し原稿を書き進めた。

電車は1両編成で到着した。

M_001743

 ー 単行列車 曇り空ひとり ひょろひょろ逃げて                M_001741

       ちなみにこの電車は向かい側のホームだよ、同じ車種だったけど

ピカピカのアルミサッシに対して寂しいチリが福井の鬱蒼とした今日の天気を語る。

M_001748どうやらアテンダントさんがいるらしく、(のにもかかわらずワンマンの方向幕のついた!)車内を回りながら列車は発車した、加速も束の間・新福井へはものの30秒ほどで到着。
向かい側の席では、同じ歳らしい女子高生が恋バナやらK POPアイドルの話やらにふけっている。
ここらにくるともう訛りも北陸といった感じ、時たま最近の言葉が混ざるのが新鮮だ。
敦賀の方では皆関西風の喋り方をした、大阪より上品で素朴な感じの訛りだ。
列車は福井の海岸線に対して垂直ベクトルを進む。
しばらく家と国道沿いの事務所が続くをみて、地方都市の風景を覚える。
路線が高架から外れるとともに懐かしい風景に陥った。
バラストのそばに雪が積もる様子が何とも言えない奥ゆかしさだ。
後ろ向きに腰掛けたボックスシートで流れる景色は、やはり緑と白と薄茶色。この電車は横揺れはするが縦にはあまり跳ねなかった、ここに福井人の真面目さを感じる。
やはり農村の冬は冷たく、内職や出稼ぎで食い繋いできた逞しさも真面目さからくるところだろう。

M_001747

           どこの駅だったかな、ベンチが寂しそうだった
列車は機械のアナウンスとアテンダントさんの生の声、そして女子高生の日常会話の3つの音で淡々と進んでいった。
こじんまりした駅を過ぎていく、雪の積もった永平寺口にもしれーっと到着した。

M_001750

 ー 雪とホームの 白に反比例 青い電車

M_001753

       木造っていいよね、冬でも見てて寒くない
駅員さんが親切で物腰柔らか、この鉄道はすごく愛に溢れてると感じる。
手書きの切符を持ち帰るべく、無効の印を押してもらいながらちょっと話して改札を出た。

ホントは押したくないんですけどね、すみません!と明るい駅員さんがおっしゃって切符を受け取った。いい時間。
その後は見慣れない(今シーズン初めて見た)雪で遊んで、バス乗り場でじーっとしていた。

M_001752

   ここの踏切ジャンジャンなるらしいですよ、そこのおニイさん・おネエさん!!

M_001754

             こいつでーす、ジャンジャン言うの

 

5.永平寺

バスはただ私だけを乗せて山を登っていった。

終点やから押さんでいいけど押したくなるよね

門前町までの道のりにもかなり看板があって賑やかだった。
旧式のバスとベテランの運転手だけで道を進める。

Q7で音立てずに、静かに邪魔にならないように撮ったよ

滑らかなハンドル捌きに全幅の信頼を置いて、ぼーっと窓を眺めていた。
周りを山で囲まれているから一面 白い。
整理券を取り忘れてたと断ると大丈夫ですよと言われて、無口で・それでいて温かい運転手に四百何円か払ってバスを降りた、その貫禄はしみじみ・一昔前の旅行雑誌の写真の雰囲気。
案の定少し雨が降っていた。

M_001823

                                 何の木だろう、えらいつるつる。

M_001758

                  雨は雨で緑が映えてよいのだがね。
にしても観光客が少し多い。
観光地気分で来たわけでもないので、目に入る少々鮮やかな色にイライラしつつ石畳を進む。
拝観料を払ってスノーブーツを脱いだ、少々重くって取り回しに困った。
御朱印帳を受付で渡して寺にお邪魔する。
意外にも近代的な建物にギャップを覚えたが、少し進むと想像していた永平寺に。
意外と雲水(※修行僧)にもすれ違わずに進んだが、床のピカピカ具合が彼らの存在を主張していた。
階段に這つくような建物が、いかに山であるかを想起させた。

M_001768

              この山に這うような感じね

M_001800

            コケが湿って雪と対比してさらに鮮やかに

  ー 雨の雪ほどく様は春に似ていて

M_001802

            優しく光さすガラス、いいよね

M_001809

           菱形の格子からのぞく緑

 ー 歪んで見える格子のガラス越しに隔世の感

M_001811

          ピカピカに磨かれた床が修行を表してる

M_001812

             モヤがいい方向に出た、感動

M_001813

         加工じゃないです、現地でも幻想的な風景でした。

M_001814

            ホントに息をのむよね

 ー 山門の 修行はじめる 雲水の思い

M_001815

        似たようなカットバッカリで申し訳ない

M_001817

        ISO400で撮ったわりにノイズ出んくて助かった

M_001818

           山門と交えて。この山門が修行の始まり。

M_001819

           建物側が何だったかは忘れました

M_001822

             かなりかがんで雪と撮りました

受付で預けてた御朱印帳を受け取って、授与所でお守りを少し見た。

「すべてのお守り」というのがあって、その少々粗暴なタイトルの力強さと輪島塗の重たさに惹かれ、思わず手に取ってしまう。

手に取ったものが、若干塗装のがかけてるのも運命感がある。

横で小さな子がお父さんに、「すべてのお守りだって!欲張りだなぁ」などと言ってるのに少し肩身が狭いが、いいことありますようにと購入した。

5.一日目の昼食

昼食はそばを頂こうと思った。
ちょうどよかったのでバス停の横のおそば屋さん、どうやらスイーツもやってて人気らしい。
おろしそばと、自家製のそば団子を頼んだ。
しばらくして、湯がきたてのおろしそばが来た。
おろしそばのサッパリした出汁と大根おろし、荒削りの鰹節が本当に爽やかだ。
しっかりした食感の麺を啜ると涼しくて凄く心地のいい。
そば団子は注文してから茹でてるようで少し時間が経ったが、そばの香りとモチモチした食感が心に染みる。
きなこをかけるとより一層温かみを感じてよかった、最後の1個はあんこ入りでした。
バスまでゆったり過ごして店を出た。
自撮りしようとしてる家族がいたのでスマホもらって撮るとめちゃめちゃ喜ばれて、嬉しくなった。

6.東尋坊

永平寺から勝山線の駅までバスで戻ってもよかったが、芦原温泉駅までバスで抜けて、東尋坊まで向かった方が早いし余り値段も変わらないと思ってそうすることにした。
新型らしいバスが来た。
タイヤ上の席は最近ニュースで見た通り無くなっていたので、仕方なく前の方の1人がけにかけた。
バスの中は老夫婦と老いたマダムと外国人カップル。
老夫婦は永平寺口の駅で降りていったな、車内は無音のまま田舎の道を飛ばす。
道路の轍状に削れたところの水溜まりをバシャーと音を立てて弾いていくのがみていて楽しかった。
芦原温泉駅に着くころにもう一度雨が降り始めて、迷惑だなと思いながら駅横のモダンなお土産店に入った。
福井の出身のメロンソーダ「さわやか」と大吟醸ばうむを買って駅上で食べようとしたが、言うてる間に芦原温泉駅から東尋坊に向かうバスが来そうだったので移動した。
バスは途中芦原温泉と駅を結んでいるから、意外に混んでいた。
ついさっきサンダーバード号も止まってたし。
バスはすぐに東尋坊に向けて出発する。
大昔に東尋坊は訪れたことがある。
父方の祖父(かなりファンキーな人だった)と祖母と3人で、車で行った。
なかなか乱暴な運転だったが、3時間かけて敦賀の方を通って行ったな、永平寺にも行ったが、つまんなそうと言って自分は車内にいたと思う。
2泊3日で、2日目に東尋坊に行って芦原温泉に泊まったのを覚えてる。
確か遊覧船に乗ったよな、船が嫌いだったから沈没しないかビビってた記憶。
その時に行った芝政ワールドの看板が車窓から見えて、いっそう懐かしく思われた。
バスは芦原温泉で数人おろして、越前松島水族館を通過して、国民宿舎で中年の夫婦を置いて東尋坊に。
東尋坊までの雄島バス停あたりの日本海沿いの道は晴れていて、少々気分が上がった、がじきに降ってしまった。

一瞬雨やんだのに…

東尋坊には結局自分と外国人のカップルだけが降りた。
艶消しグレーの空に夕日は全く映えそうにない。
観覧船もこの具合で、看板に欠航とあった。
東尋坊はえらい雨が降ってて、仕方ないので傘を差すけどとても風に耐えられそうにない。
適当な軒先でカメラを防雨カバーに入れて、盛大に濡れながら岩場に向かった。
大きいカメラは目立つようで、カメラ守ってるの・頑張れ!などツアー客に声をかけられた。
岩場の先まで死ぬ気思いで歩いた。
カメラバッグの中濡らすわけにいかないから、重たいカメラを片手で握って本当に崖っぷちへ。
片手でスマホを操作して、ストーリーに上げて一目散に遊歩道に逃げた。
途中でバスの外国人とすれ違ったので道を譲って会釈した。
サブカメラの望遠レンズで離れたところから波を狙っていると、老夫婦から声をかけられる。
品のいい様子の夫婦は福岡から来たらしい。
夫人と悪天を愚痴りながら、どこから飛び込んだらいいんですか?など冗談をこぼすのは中々ダンティなオジさん。ご婦人も私と同じく「日本海は寂しいから曇天も似合うね」という考えで嬉しかった。
そのうちオジさんは勝手にどっか行ったようで、夫人と適当に喋りながら海を後にした
バスの時刻を見て、バス停前のお土産屋に入るとさっきのオジさんがいてオぅ、お疲れサンと挨拶をくれた。
なんだか豪快な人だなぁと思いながら、うちのファンキーな爺さんを思い出してバスを待っていると、外国人から英語で「お前写真写り込んでたで、笑。写真いる?」て言われて辿々しく「Yes、あい ウォント」と返す。
外国人曰く神戸から来たらしい、I’m from Osakaというとめっちゃ近いやん!って英語で喜ばれて親近感を感じる。
Facebookで写真を送ってもらって、私は彼らと逆のバスで芦原温泉に引き返した。
アカウントのマニラの表記を見て、遠いフィリピン・kmを想像して手を振った。
高野山で写真好きなオランダ人に喋りかけられた時もそうだった、私自身英会話は得意ではないので会話があまり進まない…結果ニッコリ笑顔に逃げてしまう。
自分の情けなさに悲しくなりながらバスに乗った。
もう人はいないだろうからと2人座席に荷物を広げて買っていたバウムクーヘンを食べた。
しっとりしてる割に全然サッパリした味わいで、お気に入りに登録。
バスは殆どの駅を通過して、セントピアあわらに停まった。

7.あわら温泉

芦原温泉は13年ぶりだ。
記憶にギリギリ残るお湯を思い出しながら湯に浸かる。
大きい1部屋の大浴場だけではあるが、1日の汗を流してとろとろの湯に身も心も蕩ける。
水分あまり取ってないのもあって、脳みそがとろけ始めたのでウォータークーラーで急いで水を飲んだ。
4つに区切られた中で寝湯に浸かってるとおっちゃんが入ってきたので端に詰めると、おぅおぅありがとうといかにも福井の言葉で感謝された。
地元の高校なんかの話を訛りで送ってるのを他所に、今の自分はここの地元に溶けているようで、旅情を覚える。
のぼせないうちに温泉を出てバス停に向かう。
上下のバス停を間違えて、勘づいてくれたのか、向こう側でドア開けてくれたので急いで対岸に駆け込んだ。
芦原温泉駅まではすぐだった。
芦原温泉で20分ほど待たないといけなかったので、カメラを拭き上げたりして、521系に乗って金沢へ向かう。
途中は細呂木あたりから寝ていて、東金沢あたりで起きたんじゃないだろうか。

8.金沢

金沢について、まずちょっとお土産を見た。
最悪夜ご飯がないかも…と思って輪島の塩サイダーと白エビ蒲鉾を買って、見当つけてたゴーゴーカレーに行こうとしたが大晦日で閉まってた。
仕方なしに店を探すが、スタバ以外空いてなかったし、スタバ行くのもアホらしいからやめにして、尾山神社に向かった。行きは良い良い…とは言うが、多少迷って横道に逸れたくらいで尾山神社についた。
神社の入り口のそばで、おっさんがアコギ片手に夕焼け小焼けでまた明日…と大声で歌ってるのがなんだかおかしかった。
大体22時ごろかな、年越し参りの客が多くて、大体地元の人みたい。
ひとり大阪の人間が、金沢人のグループ・カップルに紛れて、少々寂しさが勝つ。
あまりに寂しいので、インスタのストーリーとDMでちょっかいかけて気を紛らわせた。
雨が降ったり止んだり心配な空模様に少しブルっとくる。
一眼レフを出すのは怖いので、忍ばせておいたQ7に活躍してもらった。

雨は雨でいいよね、良くないけど

 ー 傘さして 羽ばたく音だけ 降ったりやんだり

晦日直前、23:55くらい?
私のいた先頭陣のロープが解除されて、拝殿の階段上に流れ込む。
揉まれながらしばらくすると どこからともなく(というか俺の斜め下の同年代くらいのグループ)カウントダウンが始まって、大声で数えてたら年が明けた。
そこからはそれなりにスムーズに5円投げ込んでお願い事して朱印もらっておみくじへ。
中吉、いい方向にも悪い方向にも受動的な部分が多くて、なんだか今乗ってるのは蒸気船なのか泥船なのか不安になった。
そこからは金沢の夜の街をQ7とフォトウォーク。

夜1時の21世紀美術館、楽しい

軽快なリズムでレリーズを刻む。
方向音痴がたたって、幸か不幸か、散々写真を撮れた。
駅に戻ろうとするが、何度も片町の繁華街に行ってしまい肝を冷やした。

酔っ払ったパリピ多すぎる

Q7はセンサーサイズが小さいので、ちょっと高感度だとノイズが張りそうで嫌だった。

充電が限界…と思いつつ、大体7キロ以上歩いたかな、金沢駅の大きな門が見えて来た。

8.氷見線

後は始発を待つだけ…
ケータイの残充電が心もとなかったが、金沢駅の改札前の椅子で2時間半過ごした。
始めは蒲鉾とサイダーを飲んでから、20分くらい寝て20分くらい起きてを繰り返してたが、大声で電話する人があまりにも煩くって(バイト先のマサシ君とやらにだる絡みしててダルかった)そのうちスマホ見て時間潰して4時に改札が開いた、やっぱりズボンを二重穿きしても足が冷えた。
何人かは切符で入場してたが、駅員窓口があくまで私は待たないといけない。
30分後に窓口のカーテンが上がって、18きっぷにハンコを押してもらった。
ホーム上、紙コップのカフェラテが心に染みる…
待合室で始発・あいの風線の電車を待って、乗って一瞬寝て、富山に向かって出発。
電車の中でウトウトしてると一瞬!高岡駅で降りて、キハ40の音響く高岡駅に出た。
少々ダイヤがシビアで写真が撮れなかったが、初日の出が待ってる雨晴へとディーゼルは出発。
立ち席だったが豪快なゴゴゴゴゴ…と床が言うのに心が躍る。

真っ暗な日本海はあまりよく見えず、同じ魂胆の人を大量に雨晴で降ろした。

9.雨晴

海岸は雨がやんでいたが、雲は重さを持っている。
道の駅の3階建ての建物に避難して、カメラが潮風に当たらないようにカバーをかけた。
標準レンズで頑張ろうと海岸に移動する。
このためにトラベル三脚を買ったので、三脚をカメラ列に並んで広げようとするが、ザブーンと大きな波に皆三脚を引き上げる、置いて逃げるなど散々な模様。
そもそも手ブレしないだろうに、と思いながら諦めてカメラの感度を上げた。
ISO400は、このカメラで写真を生み出せる限界だ。
シャッタースピードも限界の中、微妙に明るんだ日本海を写す。
雨降る雨晴を横に見ながら道の駅の3階に上がって通過するディーゼルを写した。
運良く車は横入りしなかったのに人間が映り込んで、ちょっとイライラ。
その後は一瞬海岸に出て写真を撮って雨晴駅に。
私と同年代の女子二人組に写真をお願いされたので撮ると、ポーズ変更までしてちょっと面白かった。

同年代というのがミソなのだ、きっと私が同年代とは向こうが気づくまい。

M_001909

          踏切の後ろはもう海

  ー 踏切の ひとり耐えている 雨が吹く

M_001910

        雨晴、いい写真この2枚しかなかった
幸運にも窓際の4人がけボックスシートを占用(というか人が寄ってこなかった)できたので、窓際から見える義経岩だったかを写そうとしたら、目の前でカメラのバッテリーが落ちた。

M_001913

          駅前の水たまりだけが慰めてくれた

M_001915

      れが4人掛けのシート。実はシートピッチは急行型と同じでゆったりしてる。

諦めて高岡駅から更に富山に。
実は18きっぷは通過利用にギリギリ引っかかるから、高岡駅富山駅では下車できるのだ。

10.あいの風とやま鉄道

富山駅で降りて、お土産屋さんで白エビの燻製を買って少し食べた。
横に同じ価格の白エビの燻製もあったが、そっちは液燻で酢とか入ってた。
液燻と同じ価格で塩と白エビとリンゴ・樫
富山駅のブラックラーメンもこの日は空いてないだろうからすることがなく手持ち無沙汰だなぁと思って、親不知/子不知の北陸本線を見ようじゃないかと、あいの風富山鉄道の1500円のフリー切符を買った。
往復の値段考えたら安かった。
泊駅までの列車は少し待って出発、立山を背に日本海に徐々に近づく。
黒部あたりで地鉄の新しい車両が見えてから、東滑川あたりで日本海が見える。
常願寺川扇状地、ちょうど遠目に、コンパスの円弧の感覚で海が見えるのはなるほど!と頭に立体モデルが浮かぶ。
しばらく海は見えたが、少しずつ民家に漸近して、見下ろす立場は終了した。

11.泊

泊駅では、えちごトキめき鉄道と1時間ほど接続を待つ。

北陸本線だからね、そりゃJRだったわけよ

 

駅員さんにトキ鉄18きっぷの購入を…と申し出ると、あいの風の駅員さんで、車内で運転士さんに言うたらいいよと教えて下さった。ついでに車内改札面倒だろうからと言って220円の越中宮崎→市振のきっぷを発行してくれた。
暇だから泊の町と田舎でも…と思って海に向かって線路と垂直に歩みを進める。
この辺りは寒いから二重玄関なんだな、冷たい空気は元より、その二重玄関の引き戸、木とガラス仕立てが歪んだ景色を映しているのがナントも内面に別な感情を持ち合わせているようで切なかった。

それなりに古そうな街並み、気の字が米になってる、灯油タンクがギラギラ。

足を進めて海が見えた、ドーンという振動が空気を伝わって私の胸に激突。

パっ

M_001924

M_001918

 ー 日本海 抱かれて散って 波の花まだ蕾

M_001920

ざぶーん

 

テトラポッドに全身込めた一撃を繰り返す日本海
日本海に抱かれる妄想をした、このまま落ちたらどうなるんだろうか。
その勢いに負けるようにまた駅へと進み出した。

12.えちごトキめき鉄道

トキ鉄のディーゼルカーは来てたから、先ほどの駅員さんに愛想良くありがとうございましたと言ってディーゼルカーに乗る。

車内は普段使う関空・紀州路快速の2,1のシート配列でモケットも一緒、デジャブを覚えながら運転士さんからトキ鉄18きっぷを買った。

運転士さんの目はキラキラしていて、希望にあふれてるように感じた。

えちごトキめき鉄道含む、3セクは遊び心があって楽しい、やはりそういうところから来ているんじゃないかな。
ノスタルジックなきっぷに直筆の日付、列車番号
期待が昂って列車は出発、日本海沿いを泳いで糸魚川まで各駅停車。

M_001925

            電線の下をがーがー駆けていく違和感
糸魚川で降りて、急行券を発行してもらう。これが糸魚川で降りた理由だ。
時間的に金沢へ余裕持って戻るとなると、糸魚川から市振まで引き返す急行2号しか選択肢がなかった。
30分ほど、どこも空いてない元日 の町を歩いた。

ラブリーな靴、気になる

やはり歩道橋みたいな展望台から日本海が見えたが、少しだけ期待してたヒスイ探しできるような場所ではない。

ひすいどこ
13. 455系 急行列車

駅に戻ると急行が到着しているらしい。
糸魚川駅のホームと急行列車・往年の色を纏った455系を写した。

M_001927

人が映り込みそうだなと難儀してると、お互い理解してる鉄ちゃんが多いのか、スッと引いてくれたらしい。
礼を言ってそそくさと車内に入る。

M_001931

ドアは手動、ガラガラ開けるらしい。

思っていたより軽く開く引き戸に少し意外さがあった。

M_001941

M_001934

        ここら辺のJR感残るステッカーが北陸本線という自己主張

数々の旅行記を見て夢見た景色に乗り込んでいる幸福に小躍り。
中間車、モハ412に乗り込んで列車は発車した。

M_001942

   (※実は413系の方は急行電車の足回りを使った近郊電車なだけなのだ)

糸魚川を出ると分岐線がある。

全速で走る急行の窓から、鉄道風景の塊を写した。

M_001954

       (ここだけの話、フリッカーに挙げるほど上出来な写真じゃなかったから割愛)
その後は姫川を渡って、いよいよ親不知・子不知の絶景に列車は飛び込む。

M_001959

遠く広がる日本海は依然として重たそうに雲を抱えていた。

M_001961

 が、私の頭は銀サッシ・Hゴムの額縁に飾られた景色に釘付けで、ピンで頭を貫かれて留められた標本のようであった。

M_001965

 ー ペールブルー 窓突き破って ボックスシート

M_001964

時間にして20分弱、列車はゆったりと市振に停車した。

M_001966

               信号横目に入線

M_001972

 ー このホームいちノッポの寂し気な あぁ曇天かな

14.市振駅

列車が出るまでの15分、この長い北陸本線に思いを巡らせて写真を撮る。

M_001973

         鉄っちゃん9割5分、旅行客俺ともうひと家族だけ

私は北陸本線の哀愁が好きだった。

M_001978

            このボタンから旅情そそる発車メロディ

その雰囲気、走ってる列車、すべてがうらやましかった。

M_001983

 ー 日本海の潮に吹かれてこの模様

好きな電車は419系、その次に455系と413系だ。

寝台特急や急行列車が普通として走る、それも相応しい米原直江津行という距離にロマンを覚えたのだ。

M_001974

           遠い下関・広島、瀬戸内海の字に異国情緒

米原を出て直江津まで各駅に止まる、今回の旅、湖西線から糸魚川までも実にそれを大部分なぞった(しかも普通列車で!)ことになるのだが、その達成感は一層特別だった。

雨が降ってもカメラを抱きかかえて写真を撮っていた。

M_001979

  ー 遮断機が ニッコリ敬礼 大先輩

満足したら駅の中に入って行って、カメラの掃除を始めた。

市振駅で降りた人は意外と多く、皆が買っていたように入場券を買った。

ノスタルジックな硬券が彼の国鉄時代の旅情への憧れを少しは満たしたのかもしれない。

それにしても鉄ちゃんばかり乗ってるんだな、富山地鉄がバスを市振駅まで伸ばしてた際のバス方向表示幕を寄贈しに持ってきた人がいた。

親切な人で、幕を見せていたが凄いなぁ、実物だそうで。

市振駅も簡易委託だったので、鉄道趣味の人が運営してて興味深い話を聞いた。

やはり彼らの人脈は凄いもんだ。

M_001986

 ー 後ろ髪 引いているのは テールランプ

M_001987

振り向いて ファインダーからサヨナラ告げる

15.あいの風とやま鉄道

はじめは暇つぶしに困ると思っていた市振駅、色々話しているとすぐにディーゼルカーが来た。

乗り込むが混んでいたので泊までの2駅は立ち席だ。

少々ざわめいてる車内に意外さを覚えて泊に到着。

泊より先は、今度はするっと接続出来て、富山とそこでまた接続して金沢まですぐ抜けれるようだった。

電車の中で椅子を倒して二人がけのシートに座ると、前の席から、あ!急行の…と声がかかる。

前に座ってた人は、親切にも、横着な自分がどうにか片手だけで窓を開けようと格闘してるのを両手じゃないと絶対無理…と教えてくれた人みたい。

どうもと返して、転換クロスシートを向かい合わせにして色々話をした。

彼は18歳らしい。

今春鉄道系の専門学校の入学に関する話、工業高校の同級生の話、生活の愚痴、色々聞いた。

高校で就職に関して鉄道に興味を持ったのが鉄ちゃんデビューらしくて、その因果逆の方向に興味を覚えた。今回の旅行も高校中にバイトで必死に貯めた分から切り崩して出てきたらしい。

そして彼はなかなかの苦労人であったらしい。

細かいこと書かないが、私自身から軽々しくアドバイスできることなど何もなかったのでとにかく聞きに徹した。やはりこう、社会の風に当たると、自分の人生は生温いということを痛感させられる。苦労の欠片を理解はできても、実際に自分の身にと仮定すると目を背けてしまう。彼の自己認知の認識との葛藤は痛いほど私でも共感できた。

最後に、彼はどうやら同じ沿線に春から引っ越すらしくて、金沢駅まで話し込んで顔覚えたからまた電車で会えたら!と話してわかれた。

お互いインスタで~とかSNSのサービス名まで会話に出てきたわりに連絡先交換しようとは言いださなかった。

彼と私に共通したのが、旅の出会いは一期一会だからというお互いの美学だったのだろう。

春休み、18切符で旅行した時に出会った大学生を思い出した。

一緒に撮った写真があるからLINEで送ろうと言ってライン交換して、去り際ニコっと笑いながら一個提案があるという。

旅の出会いは一期一会、だから今日中に写真を送ったらお互いブロックしあおう(!)というものだ。

これを聞いてなんと風流な人なんだ!と衝撃をうけた。

せっかく好感したラインをブロックするという破壊的・衝動的な裏に、この場合旅というコンテクストが仕事をして一つ、極めて美しく、儚いものが出来上がってる。

彼のその発想に胸を打たれて、私は人生観を変えられてしまったのだ。

未だにあれほど美しいさようならを見たことがなかった。

16.金沢駅

金沢駅、彼と別れて晩ご飯の調達を考えた。

せっかくだし金沢カレーを、と駅近くの金沢カレーのお店に。でもしまってた。

仕方ないので駅そば・白山そばで能登牛コロッケそばをいただいた。

白エビのかき揚げか迷ったが、帰りの電車内で朝買った燻製を食べようと思ってたので、コロッケそばにした。

はじめはサクサク、じきに出汁が染みてほくほくに。

コロッケらしい甘さからだんだん出汁の風味を帯びてくるのも楽しい。

立ち食いだからそば粉の割合が低くて麵はやわらかいんだけども、アッツアツの出汁が凍えた手と体を温めてくれた。

横の土産物屋でビーバーの白エビ味を家族の土産にとりあえず買って、あと30分くらい16:41の普通までどうやって時間をつぶそうか…

 _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ 

○とりあえず上はここまでです。

0泊2日の単独行、自分の人生史上最もハードな2日だったかもしれませんが、かなり充実した2日でした。

晦日と元日でどの店も開いてない上に天気も最悪。

なかなか酷いなぁと思いながら帰路につきたかったんですがね…。

泊で撮った写真が一枚心霊写真っぽくて、ちょっとぞわーっときて記事書いてる途中寝れませんでした、誰か見てほしいけど…っ。